誰が為のオラシオン
それは悪意の塊なんかじゃない。
わたし達は抗いながら生きてきた。
わたし達はただ、当たり前の日常が欲しかっただけだった。
――あれは、人を喰らうけだものではなくて、誰かの祈りのかたちだ。
「ミユキ」
中津川 みゆき(r2p005714)はくるりと振り返る。
その背に揺らぐ薄桃色の美しい翼も、頭上に頂く天冠も、彼女が人ではなく天使であるという証左であった。
「月華ちゃん。……準備、出来たの?」
「うん。まあね。そろそろタイムリミットだって指導者にどやされちゃったしね」
可笑しそうに笑った月見里 月華(r2p002525)にみゆきは――今や小田原守護職を名乗る北条 ミユキは、くすりと笑った。
月華は御殿場の現況偵察を行っていた終鐘教会の先導者の言を思い出す。
――凪花は、有能だから? よーく耳かっぽじいて聞いておいて欲しいんだけど。
ミハイル様の戦場はウォーミングアップ終了らしいのよね。これから更に激戦!
ターリル様の戦場は霊砡を護った配下が撃破され続けて居るみたい。
アレクシス様の戦場も愚かしくも人間が未だ足掻いてるんだよね。
「あれ? もう一つ……マシロ市の動き、無かったっけ?」
「うん。名前は分からない――けれど、確かに。ひっそりとした毒の方が怖いよね。byかげちゃん」
茶化す月華にミユキがくすくすと笑った。情報提供者こと凪花(r2p007168)と名乗る終末論者は天使に好かれやすい性質を利用して潜入っている事が多い。
それはマシロ市に汲みする公安警察が同様の事をして居るのだから何も責められる謂れはないだろう、なんて月華は付け加えてミユキを笑わせるのだ。
「ふふ、えへへ、月華ちゃんと友達になれてよかったなあ。影臣さんもだけど。
……終鐘のひとって、ちょっと怖いと思ってた。
マシロ市の人みたいにさ、天使は殺すべきだ~! って……。
あの人達に……皆が世界を崩壊に導く悪人だって言われても、わたしはそう思わない。
だってさ利害一致だよ! 天使と人が共に生きる楽園を此処に築くこと!」
「うん。あたしは手伝いだけどね。ミユキは良い子だと思う」
「ありがとう! あたしは運が良かったんだ。
天使になっちゃった時、周りの人もそうだった。皆が皆、人でなしになったから、変わることない日常の続きがあった。
けど、それでもどうしても思っちゃうんだ。当たり前の毎日が恋しいなあって。
あたし、もっともっと頑張る! 強くなる!
人と天使が共存できるようにしないといけない! 何れだけ、辛くたって!」
ミユキは人の心を失うことはない。
彼女は人らしさを喪う事の無い権能を有している。
その感性は人のまま、だからこそ人として生きていく事を望んでいた。
「……ミユキなら出来るよ」
「そうかな? ありがとう。月華ちゃんが言うなら、出来る気がするね。
でも、月華ちゃん。わたし達は熾天使様達に有用だと思われなくちゃならない。
小田原を害されないために、後ろに強い盾が必要になる。
……だから、わたしたちはマシロ市の皆と殺し合わなくちゃならない、でしょ?」
「うん、そうだね」
「怖いね。怖いや。でも、そうだね。
天使だって、人だった。殺されたくなかった。殺したくも無かったよ。それでも、全てを罪だっていう。
わたしは、当り前の様に天使を殺すあの人達を良き隣人と、思えない。
話せばみんな分かるはずだよ! だから、あの人達は帰って貰おう」
――それは綺麗事だね、とは月華は言わなかった。
「うん、そうだね」
笑いかけたならば、ミユキが喜ぶと知っていた。この作戦には彼女が必要不可欠だからだ。
「だから、倒そう。安心して、わたし、これでも強いんだよ。影臣さんも、準備出来たんなら、小田原は護りきれる」
「そうだね。かげちゃん。……かげちゃん、かあ。
何の素養も持たないかげちゃんは、努力だけで此処まで来た、けれど――」
指導者・ヒルダは終ぞ天使症候群にも、告解にも至らなかった彼をしっかりと見た事は無かっただろう。
あれだけの陶酔。曇った眼で沢山の人々を利用して、マシロ市の怨みを買った。
中華街地下を荒し回し、能力者を外部へと呼び寄せ聖釘によって人生を台無しにしたとさえ批難される。
それでも、全てが指導者が認め、笑ってくれるためだと彼はそう言っていた。
「月華ちゃん……?」
「ううん、何も。あたし、かげちゃんのこと好きだったんだよね」
「――恋バナ!?」
「ミユキ、好きそう。違う。けど、あたしは天才だから。あの人はあたしが持って居ないものを持って居ただけだよ」
繭が蠢く。何かの羽ばたく音がした。月華はミユキの頬に触れてから笑う。
「じゃあ、元気でね。いってらっしゃい」
「……いってきます。帰ったら、素敵な恋のお話、しようね」
わたしは強い。わたしは誰よりもこの地を愛している。わたしは必ず勝つ。
これがわたしの祈りだ。
だから、見て居てよ、K.Y.R.I.E.。マシロ市。見知らぬあなた。
正義がどちらにあるかなんて、関係ない。
――この祈りと、決意で、あなたたちを殺してあげる。

