落日は遥か遠く


 2052年、人類黄昏の時代――
 マシロ市中心部に位置する高層タワーの最上階は『市役所』等と呼ぶに似つかわしくないこの街の王の居場所だった。
「随分と長い時間が過ぎたと思っていましたが――そういえば、たった二十八年前の出来事でしたね」
 珍しく秘書の姿も無いマシロ市長の執務室で涼介・マクスウェルr2n000002は眼窩の風景を見下ろし独白した。
「不可避の破滅は『神の御意思』だったに違いない。
 そうして、決まりきったように人は滅んで。
 こんな予定調和の凪を経て――やがて収束に到ると言うのなら、何とも皮肉だ。
 あの日より此方、積み重ねてきた事績も、この私の存在すら。
 誰ぞの用意した筋書き通りにも見えるというものではないか」
 旧横浜都心部を中心に建造されたこの街は極東日本に残された最重要拠点であると考えられ、同時に世界的に見ても有力な人類の生存圏である。
 この街は概ね涼介のコントロール下で繁栄を遂げてきた。僅かながら生き残った市民を纏め上げ、ラプラス・ダミーフェイクr2n000004シュペル・M・ウィリーr2n000005という特異点二つへの接触に成功し、今日に到る。多かれ少なかれ問題はあったがそれはこの市長の想定した着地点の外にはみ出るようなものでは無かった。
『早贄と福音』さえ彼の中では想定範囲のコストに過ぎない。過酷過ぎる人類の環境において、過剰ストレスで亢進する天使症候群を完全に食い止める事等不可能で。言っても聞かないであろう人々に堕天使ヴァニタスという存在の重要性と不安定さを真に理解させるにあれは必要な出来事だったに過ぎない。事実、あの『早贄』事件の後、マシロ市という人類圏は能力者のケア・プランに全面的な賛同を示しているのだからアレが悲劇的でありながら政治的に重要なイベントであった事は疑う余地も無い。

 ――ヒトは早贄の痛みで現実を学んだ。

 即ち、今や能力者の厚遇はこのマシロ市自体の総意である。
(これまではやはり予定通り。しかし、ここから先は少々違う)
 昨日のように思い出せるアーリーデイズの風景を思い出し、涼介は幽かな苦笑いを浮かべていた。
 彼の見下ろした曇り一つない窓ガラスの向こう、市長室の見下ろす見慣れた都市の風景は何時ものものと大いなる様変わりを見せている。
 彼がアーリーデイズを思い起こしたのはそこに、あの頃の市民達が居るからだ。
(……四月三日の座標消失ロスト・コードの行き着いた先か。
 幸いにも思ったよりは早かったと言える所だ)
 2052年、4月1日のマシロ市には座標消失より復帰した『フレッシュ』達の姿が溢れていた。
 多くは幸運にもドゥームス・デイを生き延びた市民であり、ごく一部は特別な異能を持つ能力者であった。
(グリード・バランスの強まった今日のこと。カタログ通りの力を残している方は殆ど居ないでしょうけど)
 それにしても涼介からすれば『目的』に到る手段が破滅カタストロフより先に現れた事は歓迎出来る事実であった。
 アーカディア11が動き出すより早く雪代 刹那r2n000001と座標消失した戦力を確保する事は涼介のプランの中で最も不確実な色を帯びていた。
 預言者ならぬ涼介は全ての展開を確実に予期している訳ではない。
 万能の神ならぬ彼は無論全ての問題を己が手で回避する事等出来はしない。
 例えば先述の『早贄』を本当の意味で防ぎ、誰一人の犠牲も出さない事は出来はしなかった。
 可能な範囲で手を尽くし、ストレスケアに手を回したが――それは涼介のみならず、社会そのものがそれを受容しない事には成し遂げられないから。
 彼は一貫して明晰な頭脳で合理的な予測を展開しているに過ぎない。
 それは予測に過ぎないからズレもするし、外れもする。ただそれをそうと思わせないように十重に二十重に。彼は優秀であり続けただけである。
(……さて)
 机の上の冷めた珈琲に口を付けた涼介は沈思黙考する。
 マシロ市の人口と戦力は『予定通り』大いに増えるだろう。
 座標消失自体は偶発的な事件に過ぎないが、起きてしまった事実は有機的に計画に組み込むべきである。
 同盟者、つまり神なる演算装置ラプラス・ダミーフェイクは誤差十年の範囲で収束個所を弾き出していた。
 つまる所、これよりマシロ市は生産力と都市機能の維持の両面で試練の時を迎えるのは確かだが、それは最初から分かっていた事でもある。
 しかしながら最悪が『間に合わない』事だとするならば、これも予定の範疇と結論付けるべきであろう。
「やり直しは御免ですからね。あの女の顔ももう百年以上は見てはいないのだし」
 二十八年は悪魔オルフェウスたる彼にとってはそう長い時間では無いがひと眠りという程でもない。
 そんな彼が抱いた一抹の不安がこの不確実性だったのだから、安堵の顔色を浮かべるのも致し方ない所であろう。
 繰り返すが、アーカディア11が動き出せば終わりだったのだ。『今回』も。
 手塩にかけたこの街が一先ず戦う前に終わりを告げなかった事は涼介にとって大いなる幸運に違いなく。
(何時もの違う、というのは実に素晴らしい事ですとも)
 この地球に刹那が堕ちてきた事は望外の幸運ですらある。
(しかし、問題はこれからですね)
 喜ばしい事実は幾つかあったが、喜んでばかりいられない事情も確かに残る。
 座標消失の合流は涼介にとっては必要なイベントだが、ハンドリングを誤ればマシロ市を崩壊させるトラブルでもあろう。
 少なくとも涼介からすればどうという話でもないが、例えばそう――あの生真面目で正義感の強い王条 かぐらr2n000003等は今頃顔色を変えているに違いない。
「……いや?」
 そこまで考えた涼介は自分の予測を実に丁寧に偏差した。
「かぐらさんの事ですから。ここに殴り込んでくるまであと数分といった所でしょうね」
 実に卒のない彼はだからこそリースリット・フィアル・ミルティス・フュステリエルr2p001804を外させたのだ。
 予想通りならば今回はかぐらを随分苛める事になるだろうし、天使に強い恨みを持つ彼女を慮れば『そういう顔』を見せるのは合理的配慮に欠く。
 彼女は物分かりのいい人物ではあるが、アフター5に付き合ってくれなくなるのも嬉しくない。
 首を小さく鳴らした涼介はもうすぐ来るだろうかぐらを待ちながら、街を騒がせる誰に言うともなく呟いた。

 ――何れにせよ、ようこそマシロ市へ。これから宜しくお願いしますよ。

 響くは温く、同時に奇妙な真摯ささえ帯びている――

 ※座標消失より復帰したフレッシュが2052年のマシロ市に合流しました!
 市内では突然現れたフレッシュに対しての困惑、或いは歓喜が広がっています!

 ※参考として公式ノベルもご確認下さい!(時系列的には本TOPの直後となります)

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