饒舌は潮騒にのせて


 旧房総半島・洋上。
 移動する島ペルチスカには、今もガゼボが建っている
 囲む花がフリージアに変わっただけ。
 紅茶の支度を終えた二人の天使が、それぞれトレーとカートをもってやってくる。
「ありがとう、置いておいて。ペルセイス」
 少しだけぎこちなくイェラキが微笑むと、天使はティーセットを置いて優雅に頭を垂れ、そしてさがっていく。
「スコーンはちゃんと焼けてるの、ガルデミア?」
 一方でトレサリスの側に立っていた天使はやや緊張した面持ちでスリーティアーズをそなえると、そそくさとテーブルを離れた。
「やればできるじゃない。あとで褒めてあげなくちゃあね。フフ、アナタ確か好きだったでしょう? スコーン。ストロベリージャム派だったかしら?」
 椅子の上で足を組み、頬杖をつく天使――『蒼きオルニエール』の軍団長トレサリス。
 高慢に振る舞う彼女が唯一、対等な視点で接する相手が、今目の前でシュガーポットを開く天使――『ペルチスカ島』の主イェラキであった。
 何も言われずとも視線だけで察したイェラキは、トレサリスのカップに角砂糖を二つ入れる。
「随分やられたわね。そちらはどれほど残ってるかしら。私のほうは――リネアキプリアノスセレスティノカリアークスミュルナーアズラ、あああとフィサリアいわしの子シュネーたちもいたわね。他にも――」
「無理に攻め込もうとしなくてよかったでしょ?」
 指折り数えるトレサリスに、イェラキはティーカップを持ち上げながら言った。
 手を止め、見返すトレサリス。
「そういうアナタはどうなのよ」
アルルカさんも浮雲さんも、みんな残ってるよ。アグニさんは……ちょっと元気すぎるけど。ペルチスカの合い言葉は知ってるでしょ。みんな、ただ
「アナタのやり方を否定はしないわ。けど、ワタクシたちの方針も知ってるでしょ。人間をみな、
 私も君達の考え方を否定する気はないけれど。とイェラキは揺れる紅茶色の水面に視線をおとす。
 世界はこのカップほど狭くない。外洋にでも旧首都にでも逃げ場はある。生き残るだけなら、道はある。
 ただ生きたいだけなら、クラーケンの力を利用して三浦半島を沈めてしまおうなんて考えはもたなかっただろう。
 いや、今を持ってなお、その考えを強く誇示しているのはトレサリスと部下、そしてその協力者たちだ。
 それ自体、悪い話じゃない。東京への足がかりとして東京湾を狙うマシロ市コミュニティはハッキリ言って脅威だ。皆を守るためには彼らを退けないといけない。
 視線を上げれば、カップの縁を指で撫でるトレサリスは苛立った様子で眉間に皺を寄せていた。
「人間を潰すにはクラーケンの力が必要。クラーケンを誘導するには『光の領域』の力が必要。だっていうのに、結界をこじ開けることも叶わなかったとはね。
 『レイヴンズ』の実力は計ったつもりだったけど、それ以外の連中の底力が強すぎたわ。
 やっぱり人間はのさばらせておくとロクなことがないのよ。
 土地もろとも沈めるしかないんだわ。けど通賢黙娘r2p003175)もファルマチュールr2p003494)も退いた今リトライしても兵力をいたずらに失うだけ。ああ、もう、なんで諦めたのかしらあの子達。怪物の分体なら怪物らしく死ぬまで食らいつきなさいよね」
 ピリピリとした感情がついにカップを割りそうになったところで、イェラキがカチンと涼やかな音を立ててみせた。
「……大丈夫、チャンスならまだあるよ」
「ああ……」
 視線を落とし、息を吐くトレサリス。
 カップを割られずに済んだようで、イェラキは肩をわずかに落とした。
「横須賀にあれだけの軍備を整えてたんだ。彼らの狙いは横須賀で迎え撃つことのはず。
 そのためには領域の力を移動させなくちゃ……でも、いくら神様だからって、一瞬で東京湾を横切れるわけじゃない」
「追いかければ、間に合うって……?」
「そういうこと」
 スコーンを千切ると、イェラキはクロテッドクリームを塗りつけた。
「通賢黙娘は、すごくあの島の神様に執着してるみたい。必ずつっかかって、をするだろうね」
「前回みたいにいくかしら。ファルマチュールたちが手を引く可能性だってあるわ」
「それは大丈夫。多分、なんだけど……」


 ――海が蠢いている。
 ファルマチュールにとってそれは
 世界を揺るがすような嵐全てを呑み込むような波。絶対的にして圧倒的な『力』の具現を、この異形の天使は恍惚とした眼差しで見つめていた。その奥の、途方もなく巨大な生命体に憧憬していた。
 昏い海の底からクラーケン分体シェーヴェがまた一つと這い上がってくる。ファルマチュールは、そして彼に従う天使達は、一斉に首を垂れた。彼らからすれば、このまま海の気まぐれで喰らい尽くされたって構わなかった恐悦至極だった――が、クラーケンは、シェーヴェは、彼らを害することはない。
 それは巨大なサメが随伴する魚にわざわざ襲いかからないような、ワニが歯間の肉を啄む小鳥を呑み込まないような……そんな関係性にすぎない。しかしファルマチュール達は、そこに下界を一瞥もしない神の超越を見出すのだ。
「嗚呼……」
 ファルマチュールは嵐の中で打ち震える。
 彼は海のない世界で生まれた。騎士団長として女王に仕え、武も智も神秘も修め、力も名声も我がもとにあると思っていた。己は世界の頂の近くに居るのだろうと感じていた。――羽化を経ても尚、その想いは揺らいではいなかった。
 だがどうか。『海』というものを目にして。思い知ったのだ。このを前にすれば、全てはなんと矮小なこと。果てしなき悠久。誰のものでもない絶対。抗いも、藻掻きも、何もかもがひとつぶの泡沫の如く無為なのだ。
 ――その『海』が、巨影が蜷局を巻くように。大いなる命の脈動に、ファルマチュールも天使達も「おお……」と歓喜の声を漏らしていた。
ワレらが海よ。どこまでも共に」
 共に往こう。どこまでも。シェーヴェ達がまたひとつひとつと浮かぶ水面を――その底に在るを眼下に、傅く天使達は聖歌のように言葉を捧げた。捧げ続けていた。



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 更新内容
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