アハスヴェールの宣布


 ――アレクシス・アハスヴェールは久方ぶりに微睡みの中にあった。
 睡眠。生物にとって当然の行為は、しかし。アレクシスにとっては驚愕の事象。
 など――どれ程振りの事か?
(……なんたる事でしょう。
 このような……只人が如く休息を必要とする程に堕ちているとは)
 魂が疲弊している。本来、主天使級ドミニオンなどと言うあり得べからざる程に劣化した器に自身を入れ込んだ影響であろうが……自身の宿す異能の一つである『裁き』の構築に勤しんだ程度でこんな事が……
 だが――不思議と目覚めの心地は悪くなかった。

 それは姿

 あの日あれ以来。遂に第二熾天使バルタザールは天上に帰還しなかった。
 何があったかは知らない。バルタザールが戻らぬなど埒外の事象であればこそ。
 戦況の探り? 勝利を疑うなど侮辱極まろう。
 己が側近ゲラントに仔細を探らせもしなかった。
 だからこそ……至上かつてなく、天上で無為の一時を過ごした事があった。
 永劫にも感じ得るソレ待ちぼうけを終わらせたのは――

「猊下。お休みの所失礼します」
「――あぁ来ましたか。さて……ひとまず聞きましょうか。?」

 瞬間。アレクシスの意識を現へと引き戻したのは己が配下らの気配であった。
 ――霊峰富士。其処はアレクシス・アハスヴェールの降り立った本拠である。
 その地にてアレクシスは眉間に皺を寄せていた。
 それは箱根戦線の報を耳に挟んだからである。箱根での戦いは各地でK.Y.R.I.E.が天使の防衛線を突破。遂には陥落せしめる事に成功した……ただ当然ソレは落とされたアレクシス陣営にとっては面白くない話である。
 いや……正確には、アレクシスの描いていた図の通りなら敗退自体は左程大した問題では無かった筈、だったのだが。
拠点箱根から撤退するのはいいでしょう。
 想定の範囲内です。むしろ面もある。あの戦力で跳ね除けられるのが最善ではありましたがね。
 周辺のオベリスクを大量に破壊されるのも……まぁ良いでしょう。
 所詮一本一本の出力は高が知れています。多少程度であれば計画に揺らぎはない。
 
「ハッ、その……猊下……それは――」
「テミスは、オベリスクという子に繋がる親のようなモノだ。あの地のテミスが残っていれば周辺のオベリスク復旧はまだ容易いものでしたし、陥落してもオベリスクが残っていればまだカバーは効いたでしょう。
 しかし……えぇ、この有り様はどうです?
 
 その声色こそ顔を歪め激怒する程ではないものの……明確に不快感には塗れていた。
 焦るウィラがなんらか言を告げようとしたが、一寸も聞き入れる様子なく己が言の葉を紡ぎ続ける――
 珍しい。アレクシスが配下の失態を斯様に責める事は、実はあまりない。
 は――だが。
 そんなアレクシスがここまで不快感を露わにする理由とは。
「私が何のために各地にオベリスクを設置させたと思っているのです?
 ――
 此度の暗躍の絶対条件を少なからず担っているからである。
 アレクシスは深い吐息を一つ零して。
「無論あの女マリアテレサが本腰に至って力を張り巡らせれば、そもそもオベリスクの偽装など焼け石に水。意味は到底成しませんが……しかしそうでないのなら。荒き精査なら抗える程度には期待できる。だからこそ徹底的に張り巡らせていたというのに……
 それを6000も叩き折られるとは」
「えーんえーん! リルちゃんのネコさんがお亡くなりになっちゃいました~!
 ぴええ……どうして……リルちゃんのネコさんが何したって言うんですか……!」
(ネコ……? どう見てもあのオベリスク、ブタ型にしか見えなかったが……)
 などと思考するジルデもいるが主がいる時に余計な口を挟む者はいない。
 許されるターリルの陽気さはさておき、オベリスクとはだ。オベリスクに影響によって人類の有する通信系機能が幾度も妨害されていた、が。
 それはアレクシスにとってみれば、もののついでに発生した余禄みたいなものだ。
 人類に対しての影響は元々意図したものではない、という事である。もしも人類に害がなかったとしても設置を続けさせた事に変わりは無かっただろう――端的に言って――

 
 

「ヴァルトルーデ。愚かな背徳者達の事は調べていますね?」
「無論です猊下。オベリスク破壊を担った中で特級の罪人達は……」
「もう結構。
 アレクシスがヴァルトルーデへ何かの力を走らせたようだ。
 配下の記憶を読んだのか? 読心? それとも共有系の――?
 いずれにせよ相も変わらずであらせられるとジルデは思えば。
「……200を超える数を破壊せしめた如月(r2p000630)など、万死に値しますね。
 吸血鬼? 血を啜らねばならぬ薄汚い血族が私のオベリスクをよくもまぁ……
 それにアンアリス・ヴァナルガンド(r2p000988)にシン=リトル(r2p000771)――? これらも100以上のオベリスクを手に掛けたのですか。どちらも少女でありながら勤勉極まる事です。連中の努力たるや涙ぐましいものだ」
「他にも、ロック・婁狼(r2p005635)や刻見 雲雀(r2p001692)なる者達も同様に多数のオベリスクを破壊しえた不心得共です――粛清なさいますか?」
「し、粛清ならお任せをアレク、シス様……!
 か、必ずアレクシス、様の邪魔をする連中を、全部、叩きのめしてみせま……す!」
 更にそれらだけではない。ノエル(r2p006116)、雪音(r2p000339)、夾竹桃(r2p001439)、筑摩 十郎(r2p004144)、時頃田 ツバメ(r2p000108)、結月 沙耶(r2p005734)も100以上のオベリスクを破壊しつくした者達である。
 多くのレイヴンズが尽力した。多くの意志が集いて成したのだ。
 結果として箱根周辺からほぼ全てのオベリスクの影が消えた。
 これは流石に予想外の結果であったらしい。アレクシスの苦々し気な感情の根源だ。
 ヴァルトルーデやエルシィが連中にを与えんと戦意高々な様子――だが。
「…………」
 当のアレクシスはを見せた、後。
「――今、ミハイルはどうしています?」
「ミハイルの旦那は、今の所は子飼いの連中と語り合っているようで。
 しかし――あの御人はやっぱり信用できないものですよ。
 旦那が傍にいる状況で事に当たった俺が実感として言うんです、
「でしょうね。しかしバルトロ、安心しなさい。
 
 ミハイルの事を気にする様子を見せれば問いに応えたのはバルトロである。
 崩天のミハイル。彼もまた箱根の戦場に現れていたのだ――といってもアレクシス陣営にとって味方なのかそうでないのか、なんとも言い難い動きであった。一言で言うなら十分以上にのである。
 バルトロの戦場ではテミスは守りきれた。
 しかし追い詰めた筈のレイヴンズが、辛うじてだがバルトロの手から逃れえたのは――戦いの最中に見せたミハイルの微かな干渉が起因している。ミハイルには何か思惑があると疑うべきだ。
 だが、と口端を吊り上げるアレクシス。
 もう関係ないのだ。もしも――
「もしもミハイルが――何か私を出し抜こうとするような――不遜な脚本を脳裏に描いているとしても、今の私なら叩き壊せます。まぁ……と言ってもあの男ミハイルが純粋に協力に徹するなら良し。もう暫く好きにさせておきましょう。
 現在の私と言う例外を除けば、恐らく主天使級という枠の天井を叩いている一人だ。
 やはり強引な粛清にはリスクがある……」
「主天使級の天井、ですか。全くどこまでも厄介な御仁な事で。
 ……あぁこいつは単純に、興味本位でお尋ねしたいんですが――
 ミハイルの旦那は枠を超えて、いずれ座天使ソロネに昇る男、ですか?」
「――さぁ、それはどうでしょうね。座天使に至る壁は厚い。
 貴方も知っているでしょう? もしも力を積み上げ続けて位階が挙がるにしても、その限界点が座天使だ。使ですからね。貴方達一介の天使からすれば最終到達点の位と言える。
 そして――そこに辿り着けるのはほんの一握りだ。
 例えミハイルと言えど楽な道のりではないでしょう」
 というよりも、危険を冒してでも接触して来たのだろう。
 アレクシスは――ミハイルとの会談の際の言の葉を思い出すものだ。

 『言ったでしょ。俺は最強の天使を目指しているんですよ』

 まぁアレに恐らく嘘はないだろう。腹の内を全て語ったとも思わないが。
 しかし……それにしても。
(ククッ、最強ですか……全く笑わせてくれる。
 あの第二熾天使バルタザールですらというのに)
 アレクシスは心中にて苦笑するものだ。
 最強。最強、か――その言葉を主天使如きが使うとは、
 その言葉が相応しいのは後にも先にもたった一人と信ずればこそ。
(貴方程度、バルタザールの足元にも至れるものですか! そもそも私から言わせれば『目指している』などとのたまう者は大した事はありませんがね。元々才覚のある者は『初めからその座にいる』か『一足で辿り着く』ものです)
 第五熾天使アレクシスからのミハイル評は複雑な所がある。
 絶妙なタイミングで介入してきた慧眼。大胆不敵にして、されど的確に交渉のカードを切る胆力。暴に優れるだけの天使などではない――永い時を生きるだけの事はあるのだろう。しかし使とも見ている。
 なぜなら――今現在、アレクシスは主天使相応の出力で地上に顕現しているが。

 

 自らは遥か以前から完璧だった。自らの智謀と才覚こそ唯一無二と信じた。
 もしくは……自らが忘却する程、遠い記憶の彼方にある時代ならば違ったかもしれないが。まぁそんな取るに足りない過去などどうでもいい事――
(……ふむ)
 ふと、その時。
 過去に想いを馳せたアレクシスの脳裏に、実に懐かしい記憶が浮かんだ。
 己が始原。の事だ。


 ――大願欠けて、その世界満ち朽ちて。
   即ち汝、遥か我欲ばかりに通ず栄誉の宝冠受け入れざるや?


 ……あの頃からの知古は僅かだ。
 側近のゲラント、その姉たるヴァルトルーデ。拾い子のターリル。それから他に何人いたか。
 少なくとも前者三名は自らが宿すを明確に知っている極一握りの者達だ。
 使
(私も随分と永く生きてきたものだ)
 私は完璧だ。
 私以上の存在など世界にある筈がない。のだ。
 唯一、例外と認めかけていた者バルタザールはとうの昔に消えたのだから。
 ……あのような男、もう二度と現出する事はあるまい。
 あぁだからマリアテレサ――天上に座す、憎々しい第一の天よ!


『――バルタザールは失陥しましたよ。全く、下らぬ後始末無駄をさせてくれたものです』


 かつての言の葉。マリアテレサの侮蔑を忘れた事などありはしない。
 それ以前からに障る気に入らぬ女ではあったが――!

 ――ご覧に入れますよバルタザール。
 貴方が一顧だにしなかった熾天使の宝冠が! やがて究極すら呑み込む事を!)
 精神の深淵。蜷局を撒く極限の憤怒を、アレクシスは強引に捻じ伏せ。
 立ち上がり、告げよう。己が配下の影達へと。
「久しぶりに……裁決を行います。
「――まさか」
「ひ、え、ひひひ、それって」
「猊下!」
「猊下ッ!!」
 ヴァルトルーデが、エルシィが、ジルデが目を見開き。
 バルトロは『遂にか』と面白がるように口端吊り上げ。
 ウィラは待ち望んだ一声と共に高揚し、ターリルは変わらず笑みを携えていようか。
 裁決。それはアレクシス麾下にとって、特別な意を持つ言葉だから……つまり!
「身の程を教えてやるとしましょう。
 勝利に酔う愚昧共に……この世は未だ滅びの黄昏にあるのだと。
 我が『』によって、知らしめてあげますとも」
 アレクシス・アハスヴェールは高らかに宣布するのだ。