そして、始まる


「些かの問題と遅延は生じたが、問題はない範囲だ」
 マシロ市長室、整然としたオフィスでペンを遊ばせた涼介・マクスウェルr2n000002は目の前に立つ一人の女性に目をやった。
「そうですね?」と念を押した彼に彼女――王条 かぐらr2n000003は何とも言えない表情を浮かべている。
「全部が全部、予定通りと言わんばかりだね。涼介君の場合はそればっかりだ」
「そんな事はありません。予定通りなのは大体八割位です。
「世界や運命の八割を掌握している心算だって? とんでもなく傲慢な台詞だね、それ」
 呆れた調子のかぐらを涼介は「優秀ですので」とかわしてみせる。
 彼の言葉は何処まで本気かは知れないが、少なくとも彼が何時もこの調子なのは長い付き合いで見知ってきた事実である。
 そして冗談にもならないその言葉の真贋を疑ってしまう程にはこの合理性マクスウェルの悪魔は強大であるにも違いない。
「マシロ市の生存圏を拡大する、か」
「ええ」
「夢見事のような話の準備を本当に整えてしまったんだな」
「夢見事と思うから達成出来ないのです。最初から本気でやれば果たしてそれは冗談には成り得ない。
 人類はこんな状況にありながらも、生き延びてきたのです。その強かさをかぐらさんは少々過小評価し過ぎなのではありませんか?」
「それに第一」と涼介は薄く笑って言葉を続けた。
「どの道、棄民政策を許さないのならフレッシュを養うにはこの方法しかないではありませんか」
 マシロ市の旧来の人口は37万人余。大規模な座標消失ロスト・コードによるフレッシュの流入で市内の人口は十万人単位の増加を遂げていた。
 未だに途切れないフレッシュの転移を考えれば元より完全に効率的な行政とシュペル・M・ウィリーr2n000005の異能じみた能力でギリギリ運営されていたマシロ市の都市計画が早晩破綻する事は確定的に明らかであった。市政は可及的速やかに生産力の向上と、新たな生存域へのアクセスを求めていた。少しも心を痛めているようには見えない涼介は兎も角、かぐらも――それ以外の良識的な人々も、フレッシュを見殺して追放する事等出来はしない!
「……この後の予定は?」
「マシロが防衛を基軸にしていた以上、現存する戦力の大半が市外戦は不慣れだ。
 慣らし運転も兼ねながら徐々に市外活動を展開していくのが良いでしょう」
「同感だね。急いては事を仕損じる」
「そして、現場の指揮はかぐらさんの仕事です」
「全部任せる、と?」
「餅は餅屋だ。K.Y.R.I.E.の活動はかぐらさんの方が詳しい。
それに、私が御守りをしなければいけない程、貴女は無能な人ではないでしょう?」
 涼介の皮肉にかぐらは「了解」と苦笑した。
 相も変わらずこの市長は――最高権力者は何を考えているか分からない。
 主導権を渡す気は微塵もない癖に、細かい事は良きに計らえときたものだ。
 尤も、必要ならば彼が現場を仕切る気である事はかぐらの方も承知している。
 そして彼女はそれ自体は厭うていない。
「2052年5月11日は人類にとっての反攻記念日になるね」

「他人事みたいに言って! じゃあ、準備があるから失礼するよ」
 踵を返したかぐらにひらひらと手を振った涼介は一人きりになったオフィスで一つ嘆息する。
「本当に期待してるんですけどね、かぐらさんには」
 豪華なチェアのロッキングを思い切り倒し、天井を眺める。
 市長の椅子は役得もあり、まあまあ都合が良いが、実際苦労が多いのも事実ではある。
(元よりラプラス君は誤差十年でこの大流入を観測していたのだ。
 これだけの戦力を一気に獲得出来た事は望外。危機所か、予定通りのチャンスに過ぎない。
 少なくとも成功するには――いや? 成功までは届かないまでもには貴女もマシロ市もとても重要だ)

「……………」
 涼介はの顔を脳裏に思い浮かべた。
 一人目はアーカディア11。世界が壊れていく過程で顔は眺めに行ったが、まあ彼女はだろう。
 彼女が停止した事が人類の仮初の勝利の理由であり、全てである。
そこに纏わるロジックまでは判明していないが、この涼介ならば幾らかの予測はつく。
「……………」
 二人目は謂わずと知れた最悪の熾天使だ。

 ――マリアテレサ・グレイヴメアリー。

 厄災の王冠ケテル傲慢の極みバチカルを戴く。
 そのヘイローに相応しく、最悪の性格をした理想の天使の姿は殆どに無感動な彼の中にも強く焼き付いている。
 他の連中ならば兎も角、アレだけは絶対に無理だ。
 それが確実に分かり切っているからこそ、涼介は随分と長い旅をしているのだから間違いない。
「さて……」
 何れにせよ動き出した世界はこれまで通りにはならないだろう。
 元より熾天使アーカディア・イレヴンが動き出すまでの義務猶予モラトリアムだったのだから、これも遅かれ早かれの話でしか無いのだが。
(まぁ、精々上手くやって下さいな。皆さんが上手くやる限り、私も上手くやりますから)
 この世界では悪魔は契約に則って動くものだと聞いていた。
 時に天使等より余程契約に真っ当な悪魔は悲劇にも喜劇にも忠実だ。
「時間よ止まれ、このせかいは美しい――」
 涼介は流麗にゲーテを諳んじて、美しい顔で幽かに笑った。

※シナリオ開始は2024年5月11日を予定しています!
※テーマノベル『ようこそK.Y.R.I.E.へ!』が開始されました。
※座標消失より復帰したフレッシュが2052年のマシロ市に合流しました!
  現在、そして以後の時間軸は5/4(リアルタイム)に合流しています。

※参考として公式ノベルもご確認下さい!

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