嘲る銀色
美しい。
余りにも静謐で、呑まれる程に美しい。
荘厳と壮麗のみが満ちる聖堂は、それですら己が主人の存在感を包み隠すには到らなかった。
最愛の父と唯一対話に足る代行者は楽園においてもそれ位には別格だ。
正しい居住まいで瞑目し、愛と祈りを捧げるマリアテレサ・グレイヴメアリーが金色の瞳を開いたのはその瞬間の出来事であった。
「嗚呼――」
艶やかな唇で軽侮の薄笑い、形の良い三日月を作った彼女は文字通りの刹那で全てを識った。
己を謀る第五熾天使の謀は確かに緻密に出来ていた。傲慢にして怠惰な彼女の性質さえも利用した限定顕現は絶対の天眼にも掛からぬだけの準備を幾つも重ねていた筈だった。しかし。
――――『森羅万象の理よ、我が手中たれ』――起動ッ!!
……全ての間違いは彼が目前の戦いを己が危機と認じてしまったからに他なるまい。
蟻を踏み潰す竜のように振る舞い切れば、これは確かに回避出来た事態だった筈である。
元はと言えば原因の全ては人類が粘り過ぎた事。
レイラインを起動し、能力者ならぬ兵達が奮闘し、人を憎む神は月の美しさを思い出させるに到った。
その上で呑んだ筈の魂(r2p000385)が消化不良を引き起こし、掌握した筈のりもこん(r2p005402)が反旗を翻した――
管理者のキャパシティさえ超えた事態はアレクシスの全てに歪を引き起こしていた事は想像するに難くなかろう。
だが。ミスティティアもアレクシスもその瞬間に生じた最悪を実を言えば把握して等いなかった。
「森羅万象の理よ、我が手中たれ……ね。
限定顕現と言い、弱者の――何ともいじましい努力だこと」
楽園の中心で静かに呟いたマリアテレサの瞳が妖しく揺らめいていた。
ミスティティアがアレクシスの権能――即ちこの限定顕現を司る中枢機能を失したのは僅か一秒に足らない出来事であった。
遥か攻略世界のアレクシス本体と分け身を繋ぐパスを塞ぐ『蓋』はその一瞬だけその効力を失っていたのである。
その上で――アレクシスは目前に立つ人類という塵芥を敵と見做してしまった。
余裕の軽侮ではない、別の質感の籠った彼の力の行使は刹那に失われた蓋を通り抜け、パスの侭に彼に力を供じてしまったのだ。
――瞬間、生じた出力は座天使を超越した。
天眼はその瞬間、地球上の特異性をまさに無慈悲に走査した――
ベルリン。金髪の魔術師。これはあったもの。
トランシルヴァニアの森の王。これも元々あったもの。
日本。マシロ市。アーカディア・ツーはどうでも良い。
西に二百キロ前後、これだ。『森羅万象の理よ、我が手中たれ』。
「どの面を下げたかと思えば、随分苦労しているようですね? アレクシス・アハスヴェール。
……いいえ? やはり僕には先見の明があるという事でしょうか。
アーカディア・ツーの子飼いならば、とは思いましたが。殊の外面白い方々ではありませんか」
祈りを辞め、状況を概ね理解したマリアテレサは鈴鳴る声に冷酷な響きを滲ませた。
そこからは圧倒的な愉悦と、アレクシスへの嘲り、そして見たままの状況を作っている人類への微かな驚きが見て取れた。
「僕をもてなしてくれた方々も頑張っているのね。
億が一なら……また再会も出来たりするのかしら?」
健闘を見せる顔の中には見知ったものもあり、マリアテレサはそれが愉快でならなかった。
――とは、言え。
「まさか、本気で敗れないでしょうね? 第五熾天使」
独り言ちるマリアテレサの語る通り、未だ尚、状況は熾天使優位に違いあるまい。
どれ程の努力を重ねても、人事を尽くしても――熾天使こそが天命である。
偉大にして敬愛するお父様の意思を此の世に告げる福音でなければならないのだから当然だった。
故にマリアテレサはもう一度目を閉じた。
「せめて僕が祈っておいてあげますよ、アレクシス」
――栄えある熾天の宝冠が、こんな程度に汚されたりしないように。

